
90年代後半から2000年代にかけて、東京・恵比寿を中心に巻き起こったストリートカルチャーの潮流。
その中心にいたブランドの一つが、MACKDADDY(マックダディ)です。
音楽やスケート、クラブカルチャーなどと密接に結びついた背景を持ちながら、リアルクローズとしての着やすさと独自のスタイル性を両立させたデザインは、多くの若者の心を掴みました。
特に“恵比寿系”というスタイルを象徴する存在として語られ、2000年代のストリートファッションを語るうえで欠かせない存在となっています。
この記事では、そんなMACKDADDY(マックダディ)のブランドの起源や歴史、創業者・デザイナーの背景、デザインの特徴とスタイルについてご紹介します。
目次
MACKDADDY(マックダディ)の起源と歴史
創立の背景とブランドコンセプト
MACKDADDY(マックダディ)は、1997年に日下部司氏(くさかべ つかさ)によって設立された日本のストリートファッションブランドです。
日下部氏は北海道出身で、若い頃からパンクやメロコアなどの音楽、そしてスケートボードカルチャーに深く影響を受けてきました。
その影響を反映し、「長く着られる洋服作り」という信念のもとでMACKDADDY(マックダディ)をスタートさせました。
ブランド名の由来については明示されていませんが、ファッションとストリートカルチャーの融合を意識した自由な発想が込められており、そのネーミングセンスからも独自性を感じさせます。
初期展開と「恵比寿系」ムーブメントとの結びつき
MACKDADDY(マックダディ)は創業当初、既製のボディにオリジナルの刺繍やプリントを施したプロダクトからスタートしました。
初期にはBOUNTY HUNTER(バウンティハンター)での取り扱いもあり、コアなストリート層から注目を集め始めました。
1999年には、MACKDADDY(マックダディ)と縁の深いセレクトショップ「HEIGHT(ハイト)」が恵比寿にオープンし、EMPIRE(エンパイア)やSWAGGER(スワッガー)といったブランドとともに、いわゆる「恵比寿系」と呼ばれるムーブメントを形成します。
恵比寿系は、裏原宿とは異なる文脈でカルチャーとファッションを融合させたスタイルで、2000年代前半に大きな注目を集めました。
ブランドの隆盛期とカルチャー展開
HEIGHTの成功とともに、MACKDADDY(マックダディ)はブランドとしての展開を広げ、Tシャツやキャップといったカジュアルアイテムのみならず、アウターやアクセサリーまで幅広く手掛けるようになりました。
また、音楽イベントの主催やレーベル活動を通じて、音楽とファッションを結びつけたカルチャー発信を行っていきます。
この時期のMACKDADDY(マックダディ)は、単なる洋服のブランドにとどまらず、ストリートに根ざしたライフスタイル全体を体現する存在として、多くの若者の支持を集めました。
衰退と自己破産、現在の状況
栄光の時代を経たMACKDADDY(マックダディ)ですが、時代の流れとともに徐々にブランドの勢いは衰えていきます。
そして2019年10月、ブランドを運営していたマックダディー株式会社は、東京地裁より破産手続開始決定を受けたことが明らかになりました。
報道によると、負債総額は約4億円にのぼったとされています。
この倒産の背景には、ストリートファッション業界全体の変化や、流通・ビジネスモデルの転換に対応しきれなかったことが挙げられます。
評価と影響/遺産としての位置づけ
MACKDADDY(マックダディ)は、ファッションブランドとしての完成度だけでなく、カルチャーとの密接な関係性において、2000年代初頭の日本のストリートファッションシーンに確かな足跡を残しました。
HEIGHTを拠点とした恵比寿系ムーブメントは、原宿・裏原宿系とは異なるスタイルと価値観を提示し、多様性をファッションの世界にもたらしました。
その後ブランドとしての活動は停止しているものの、当時のコレクションやスナップは現在でも再評価されており、MACKDADDY(マックダディ)はストリートの歴史に名を刻んだブランドの一つとして語り継がれています。
創業者・日下部司(くさかべ つかさ)について
生い立ちと青春期のカルチャー接触
日下部司氏は1970年生まれ、北海道の斜里町(知床半島の西側)出身とされています。
幼少期から音楽、特にロックやパンクに親しみ、中学〜高校時代にはバンドやライブテープを通じてジャパコアや洋楽の情報に触れていました。
また、デニムを漂白したり、服に手を加えたりするカスタム的なアプローチを通じて、服作りや自己表現の萌芽が芽生えたと語られています。
彼自身は、兄から回ってくるライブテープや、ファッション/音楽雑誌(『宝島』『DOLL(ドール)』など)を情報源としていたと語っており、それらがカルチャーやスタイルへの感覚を育むきっかけになったとのことです。
高校時代にはスケートボードにも触れ、スケートカルチャーとストリートファッションの交錯点に興味を抱くようになったといいます。
ブランド立ち上げと初期キャリア
1993年には、パンク/メロコア的なバックグラウンドも持つバンド「雷矢」を結成した経験があり、音楽活動とファッション感覚は早い段階から密接に重なっていました。
こうしたバックグラウンドを踏まえ、1997年には「長く着られる洋服作り」を理念に掲げ、ブランド「MACKDADDY(マックダディ)」を立ち上げます。
ブランド創設時には、ストリート/音楽カルチャーを背景としながら、日常使いできる実用性とファッション性を両立させることに重きを置いていました。
HEIGHTと“恵比寿系”への関与
1999年、日下部氏は「HEIGHT(ハイト)」というセレクトショップを東京・恵比寿にオープンしました。
HEIGHTではMACKDADDY(マックダディ)の他、EMPIRE(エンパイア)やSWAGGER(スワッガー)などのブランドを取り扱い、恵比寿を中心としたファッションシーンを牽引しました。
この動きは「恵比寿系」と称されるムーブメントの中核的な役割を果たし、派生するスタイルや文化を形成していく一翼となりました。
HEIGHTは後に原宿に移転し「HEIGHT TOKYO」として再出発し、さらに京都・大阪にも支店を展開するに至ります。
MACKDADDY(マックダディ)以降の活動と現在
MACKDADDY(マックダディ)がブランドとしてのピークを迎える中、日下部司氏はブランド名と同じ名のサウンドユニットを結成し、ダンスホールなどの音楽シーンでも活動を展開しました。
ブランド運営の中で、ファッションと音楽を重ねて語るスタイルが彼の表現軸のひとつとなっていました。
しかし、2019年10月、MACKDADDY(マックダディ)を運営する会社は東京地裁より破産手続開始決定を受け、ブランド運営は実質的に終了します。
この後、日下部氏は新たな活動領域を模索し、デニムリメイクやファッション小物を手がけるブランド「KYRA(キラ)」を立ち上げるなど、創作活動を継続しています。
人物像と思想的軸
日下部司氏は、単なる流行追随や一過性のブランド運営には興味を持たず、時間軸を見据えた「長く着られる」ファッション、カルチャーと密接に関わる表現形式、そして自己表現/DIY精神を重視する姿勢を一貫して持ち続けてきた人物として語られています。
また、恵比寿系ムーブメントという言葉で語られる文化領域において、彼自身が立役者的な存在として、その語られ方・参照され方の中心に位置することが多いです。
その人生とキャリアを振り返ると、「音楽 × ファッション × 街のカルチャー」が彼の活動を貫くキーワードであり、MACKDADDY(マックダディ)もまた、そのキーワードを体現しようとした映し鏡と言えるでしょう。
MACKDADDY(マックダディ)のデザイン的特徴とスタイル
恵比寿系スタイルとの結びつきとモチーフ
MACKDADDY(マックダディ)は、2000年代前後に台頭した「恵比寿系」ファッション潮流の中心的ブランドとして語られることが多く、そのスタイル性がデザインの根幹に刻まれています。
恵比寿系とは、原宿・裏原のストリート文化とはひと味異なる、音楽・クラブ・ファッションが交錯する若者文化を背景としたスタイル潮流であり、MACKDADDY(マックダディ)はその代表格と目されています。
この恵比寿系の典型的なアイテム構成として、スタンドカラーのナイロンジャケットやスタンドカラーのスウェット、ジェットキャップ・浅めのビーニー、ドローコード付きパンツ、デカリュック・ミニバッグなどが挙げられ、MACKDADDY(マックダディ)もこれらを取り入れたデザインで支持を受けていました。
特に、ドローコード仕様のパンツで裾を絞るギミック、そしてミニバッグや腰下げバッグを使ったスタイル感覚などは、MACKDADDY(マックダディ)が恵比寿系の定番を担うブランドであったことを物語る要素です。
デザイン上、「典型的な恵比寿スタイルに忠実、奇をてらわないシンプルなデザインで型数が多い」という点も、MACKDADDY(マックダディ)が人気を得た理由として語られています。
過度なデザイン性よりも“使いやすさ”を重視しながらも、シーン感覚を落とし込んだ構成力がブランドの強みでした。
デザインの要素:素材・シルエット・ディテール
MACKDADDY(マックダディ)のデザインには、ストリート性と日常着としての実用性を両立させる工夫が見られます。
素材選びでは、軽めのナイロン素材、リップストップ、あるいはコットンやスウェット素材といった、季節・用途を問わず使える布帛・編み地のミックスを行うことが多かったようです。
これによって、着心地や取り回し感を損なうことなくストリート性やファッション性を担保できました。
シルエットにおいては、ゆとりを持たせつつもだらしなくならないライン感が選ばれており、ドローコードで引き締める仕様や、パンツの裾を絞ることで変化をつけられる形状にすることが多くありました。
これにより、自由度を保ちつつ着用者の体型や好みに応じてスタイルを変化させられる余白を残していました。
ディテール面では、刺繍、プリント、パッチワーク、切り替えライン、ステッチ使いなどが駆使され、ブランドらしさを出すアクセントとして作用していました。
また、無駄を削ったミニマルな意匠を基軸に、差し色やロゴ使いを抑えて統一感を重視する傾向が強かったと記録されています。
時代と共に変化したアプローチ
MACKDADDY(マックダディ)は、初期には音楽カルチャーとの近接性をデザイン表現に反映させていたものの、2000年代中盤以降は、よりファッション性を重視した“シンプルでスタイリッシュなストリートブランド”の色合いを強めていったという見方があります。
恵比寿系としての音楽色――バンド/クラブカルチャーに根ざした要素――を前面に出していた時期から、やや抑制された装いへとシフトしていった、という声も記録されています。
この変化は、当時のファッション市場やメディア露出、消費者層の変化などに応じた柔軟な対応であり、MACKDADDY(マックダディ)が単なる流行追随ではなく、時間軸を見据えたブランド感覚を持とうとしていた証左とも言えます。
デザイン感覚とブランド哲学との統合
MACKDADDY(マックダディ)は、そのデザイン性を通じて「長く着られる洋服作り」の理念を体現しようとするブランドでした。
過度なモード性や装飾性を追いかけるのではなく、リアルに日常で使える強度と着回し性を意識した設計が特徴です。
これは、ブランド創業者・日下部司氏の「ファッション × 音楽 × 街のカルチャー」を内包させたいという思想と密接に結びついています。
結果として、MACKDADDY(マックダディ)の服を着る人々は、「カルチャー感」を纏いながらも、着心地や実用性を犠牲にしないスタイルを実現できるという魅力を得てきました。
デザインは自己主張の手段であると同時に、飽きずに長期間使える基盤でもあったのです。
まとめ:MACKDADDY(マックダディ) ブランドリリース
MACKDADDY(マックダディ)は、ストリートカルチャーの熱量が高まっていた1990年代末から2000年代にかけて、日本のファッションシーンに確かな存在感を刻んだブランドです。
創業者・日下部司氏の音楽やスケート、DIY精神への情熱を背景に、日常で使えるリアルクローズとしての実用性と、カルチャーを纏ったデザイン性を両立させたアイテムを数多く展開してきました。
特に「恵比寿系」というスタイルを象徴するブランドの一つとして、ナイロンジャケットやドローコード付きパンツ、ジェットキャップやミニバッグなど、ストリートとモードの中間を行くような絶妙なバランスのアイテムで支持を集めました。
そのデザインは奇抜さを排しながらも、細部にこだわりを持たせ、スタイルの自由度を高めるという、ストリートブランドとしては異例の「引き算の美学」を感じさせるものでした。
ブランドとしての活動は2019年に終焉を迎えましたが、MACKDADDY(マックダディ)が残したスタイルや思想は、今もなおファッションラバーたちの記憶と着こなしの中に息づいています。
長く着られる服、そしてカルチャーとともにある服。その精神こそが、MACKDADDY(マックダディ)の本質であったと言えるでしょう。
PROFILE
- メンズファッション専門WEBライター
- 古着屋「GARATOIRO」「BUYER'S GARMENT」を運営する元メンズアパレルデザイナー。
セレクトショップのECサイト運用担当後、WEBマーケティング業界に従事し、事業部長などのキャリアを経験。
起業後は30万人以上のファッションユーザーに利用されるWEBメディア「IDEALVINCI」専属ブロガーとしても活躍。「メンズ古着」「リユースファッション」などの情報も発信。
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